1945年にバルトーク・ベラ(Bartok Bela)によって作られた協奏曲です。
希代の名ピアニストでもあったバルトークはそれまでは自分が演奏するために
ピアノ協奏曲の類を作っていました。
しかし、この曲だけは違います。この曲は彼の妻が演奏するために書かれたのです。
それも誕生日プレゼントとして。
非常に残念な事にバルトークはこの曲を完成させる事は出来ませんでした。
最後の17小節のオーケストレーション、
ただそれだけを残して彼は亡くなってしまいました。
夫人の誕生日(10/31)を待たずして、です。
やがて最後の17小節はティポール・シェルリー(Tibor Serly)の補筆で完成されました。
初演は1946.2.8に
指揮ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy)、ピアノ演奏ジョルジュ・シャーンドル(Gyorgy Sandor)、フィラデルフィア管(Philadelphia Orchestra)に依って成されました。
本来ピアノを弾くはずだったバルトーク夫人(ディッタ・パーストリ、Ditta Pasztory)は1960年代に入ってから初めてこの曲を演奏録音したそうです。
前述の通り、この曲はバルトークの最晩年に書かれたものです。 病魔に侵されていた彼は自分の死期を悟っていたかもしれません。 が、この曲からはそんな絶望感は感じません。 まあ、人生の長さゆえの深みとでもいうものはひしひしと感じはしますが、 やはり何とも言えない生命の力強さを感じます。 華々しさの内にも閑けさがあり、穏やかさの内にも希望と情熱があるのです。
第一楽章は「全て」を感じさせる曲です。 「全て」とは、この協奏曲全体であり、また一日であり人生であり …とまあ実際問題として何についてであっても構いません。 日は昇り、また沈むのです。この楽章を聴くとそんな感覚に襲われます。 明るく軽快な中にも深みを感じさせてくれます。
第二楽章は他の二つの楽章に比べると多分に 陰鬱なイメージの漂うゆっくりとした曲です。 しかしながらその陰鬱さは朝日が昇るのを待つが如き切なさです。 いざ昨日と云う殻を脱ぎ捨てて新しい今日と云う一日を迎えようとする、 そんな前向きな切なさです。 押し潰されそうな憂鬱さとは一線を画していると言えましょう。
第二楽章が早朝、日の出前だとすると第三楽章は日中、そして明日といった所です。 見えぬ明日への不安を抱きつつも力強く、ただひたすらに希望を持って生きる。 そんな曲です。
ざっと各楽章にばらして見てみましたが、総じて言える事は
「必要な物は全て揃っている」だと思います。
力強く、軽快で、深く、明るく、切なく、etc...これらが一堂に会し、
複雑に絡み合いお互いを引き立てる。
老境のバルトークが我々に残してくれた最後の作品はそんな曲です。
この曲は是非とも聴いてみて下さい。
余談になりますが、私はこの曲を聴くと何故かカフカの小説が読みたくなります。 この曲と出会った頃に不条理の中で異様な自信を以ってひたすら突き進む「城」を読んでいたのが原因だと思うんですが …何故か雰囲気が良く合うんですよ。